​「和歌」

和歌については、藤原定家らに命じ勅撰「新古今和歌集」を編纂させました。そして海士に遷られてからも再編し「隠岐本新古今和歌集」を編纂されました。

また、『遠島御百首』をはじめ、800首近い歌を残されています。ご在島中、お心を支えたのは和歌ではなかったのかと言われます。

 

「刀剣」

刀剣の歴史に関しても関わりが深く、御番鍛冶と呼ばれた名匠に刀を作らせたことが、刀の価値や刀匠の地位を高めたとされます。その由緒により、隠岐神社創建時、昭和の名匠により刀が奉納されています。

 

​「菊の紋」

京の都にいらっしゃった時、当時の刀剣の名匠を、月ごとに呼び、作品を作らせていたということで、気に入った刀には菊の花を刻まれた(菊御作)と伝わり、この菊の紋が今の皇室の御紋の始まりだと言われています。

 

​「牛突き」

今でも島後で盛大に行われている牛突きも後鳥羽院が起源とされています。隠岐に渡られた際、海が大変荒れたため、崎に上陸され、三穂神社に一晩お泊りになりました。翌日、陸路で行在所に向かわれる途中、牧で牛が頭を突き合わせていたのをご覧になり、喜ばれたことから牛突きが始まったと伝わります。かつて後鳥羽上皇の祭日に行っていましたが、海士では途絶えています。

 

​「蹴鞠」

蹴鞠の作法について書かれた『蹴鞠記』を残されています。

 

​「琵琶」

近日公開予定

 

​「笠懸」

近日公開予定

 

​「相撲」

奈良時代に行われた貴人による相撲観覧は、平安時代に入ると「相撲節(すまいのせち)」と呼ばれる朝廷の7月恒例の年中行事となりました。相撲節の形が整えられると平安後期には神仏に見せる相撲が芸能の一つとして祭礼で行われるようになった。

平安末期に、相撲節は終焉を迎えたが、相撲そのものは後鳥羽上皇が院御所で守っておられた。藤原定家の『明月記』にも記載あり。